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自分の「悔しい」という感情から、キャリアを組み立てる〜LAPRAS CAREER 辰巳さんのキャリア〜

<略歴>
東京大学工学部を卒業し、2014年に新卒でITコンサルティング企業に入社。自社採用や、総合商社の業務システム導入PJにてPMO経験を積む。その後、2019年よりバイリンガル人材に特化した転職エージェントに転職し、ITエンジニアに特化したキャリアサポートを展開、最年少でチームマネージャー職を遂行する。2023年1月、LAPRASにジョイン。LAPRAS CAREERのコンサルタントとして候補者のキャリア相談に乗るかたわら、事業責任者を務めている。

「形に残るもの」に対する憧れ

元々子供の頃から数字や文字に対する興味が強く、図書館にいって順番がバラバラになってしまった本の巻数を、黙々と1から順番に並べ直すような子供でした。計算ドリルを解き終わったり、テストで100点の答案をおばあちゃんの家に持って行くと、1枚あたり50円をくれたので、その後はテストの答案を貯めてはおばあちゃんにせびりに行く、ちゃっかりとした子供でした(笑)。幸運にも勉強すると成果が出ることで勉強が好きになり、進学校から東京大学に進学しました。

大学時代は、進学校のプレッシャーから離れて、羽目を外してしまおうみたいな気持ちも強かったですね。バンドと合唱と演劇を全部やるようなサークルに入って、本当にサークル漬けでした。ドラムをやったり、演劇で公演に出たり、「舞台に立って、目に見えるものを作って、人に見せる」という部分を楽しんでいました。高校までは帰宅部で、放課後は学食に溜まってゲームするような生活だったのですが、「自分のやりたいことが見つけられなかった高校生が、ギターを始めてかけがえのない友人や思い出を得る」という、当時流行していた「けいおん!」という作品の影響をやけに受けてしまい、何か形に残るものを表現したいという気持ちがあってサークルに没頭していました。

ドラムを叩く辰巳さん

東京大学では入学時に大学の学部が決まっておらず、3年生になった際に希望と成績に応じて学部が決まるのですが、なんとなく日本の「ものづくりをする人」「形に残るものを作れる人」ってかっこいいな〜というイメージが焼き付いていました。自分にとって身近なゲームをつくったり、電子工作をしたり、ということにはもともと興味があったので、プログラミング等にも携われる「電気電子工学部」を希望していました。幼い頃にも一度「HSP」というプログラミング言語に触って挫折した経験もあったのですが、それ以来の挑戦でした。

ただ、その年はちょうど震災のタイミングでその学部に人気が出てしまったのか、第二希望になんとなく書いていた「建築学部」に進学することになりました。ここはちょっと正直想定外でした。

建築学部では、いわゆる「建物を設計する」ような分野ではなく、水道や電気、エアコン等の設備の研究をしていました。徹夜をしまくって製図をする代わりに、データを取って、計算をして、MATLAB等の簡単なプログラミングを書いて…といった研究生活をしていました。大学院には進まず、早く社会に出てお金を稼ごうという気持ちがあったので、就職活動ではゼネコンやデベロッパー、ハウスメーカーを受けたりもしたのですが、どこにも受からなかったですね。正直、そこそこ受かるだろうと無根拠に思っていた不遜な学生だったのですが、これは自分にとって衝撃でした。

「やりたいことがない」ことに苦しんだ新卒就活

正直、大学生の頃は自分が「仕事として何をやれるのか」という部分が全然よく分からず、働くイメージが持てていませんでした。働くことは怖い、大変、嫌なことだ、といった声を真に受けて、情報を自ら遠ざけてしまっていたことも原因かと思います。そのため、志望動機もうまく作れず、大学でリクルーターのような方が勧誘してくれたりするのですが、気づいたらその人たちからもフェードアウトされてしまう始末でした。熱意や意志と呼べるものが、あまりにも感じられなかったからでしょう。そうこうしている間に、大手の選考は全部落ちてしまいました。

思えば、昔から自分の意思を伝えるのが苦手で、「周りに不和を生まない」「誰かの意思を尊重してあげる」ことばかりを気にしている子供だったと思います。当時は本当にやりたいことが分からない状態で「自分をアピールする」ということが上手くできませんでした。「どうなりたいの?」「君には何ができるの?」と言われても困ってしまい「できることを全力で頑張ります!」としか答えられないという…控え目な性格も相まって、かなり苦戦した方だと思います。

最終的には、唯一内定をいただいたITコンサルの会社に入社させていただきました。その会社は唯一、何がやりたいとか、何ができるのかではなく、入社後にゼロから育てるという気概で新卒を採用しているような、珍しい会社でした。

目の前の業務をやり切ったITコンサル時代

新卒で入社した会社では、最初はシステム開発の現場に入って、アパレルメーカーの基幹サービスのプロジェクトに配属されました。エンジニアリングに関しては未経験と言っていいレベルでしたので、簡単なコーディングやテスト工程を経験していたのですが、いわゆる炎上プロジェクトが進んでいく様を側から見ている状況でした。

ITプロジェクトに強い社員であれば、HR部門や営業部門の管理職も徐々に動員され、先輩社員がどんなに休日出社をしても終わりが見えない状況はなかなか改善されず、やりがい、努力、成長といった言葉は意味をなさないような現実の厳しさに、ひたすら悲しさを感じました。そんな中でも1対1で先輩が着いてくれて、仕事を教えてくれてたお陰で、精神的には支えられていたように感じます。

プロジェクトが一定の収束を見せた後、新卒採用の部署に配属になりました。総合職採用だったので、急に今までと違う分野の仕事を任されるのも抵抗感はなく、いろんな経験を積む時期だし、もらった仕事を一生懸命やってみようという気持ちでした。

新卒の方向けの説明会や一次面接や、メンターとして面談をしていく中で思ったのは「自分ほどじゃないにしろ、みんなそこまでやりたいことがハッキリしているわけではないんだ」ということでした。自社採用担当として、どんな学生にも「自社に入ってほしい!」と言わないといけないことには、葛藤を感じました。「(候補者が)他社の内定を承諾しました」と報告すると、なぜ自社の魅力をもっと伝えなかったのだ、採用するのがあなたの仕事だろう、と叱責されてしまう訳です。そこで「採用って何なんだろう」であったり、「就活の時の自分はどうやったら救えたんだろう」ということを考え始め、採用という領域に興味を持つようになりました。

その後、部署異動で総合商社のトレーディング部門に常駐して、業務用システムのリプレイスのプロジェクトに配属されました。開発は別の会社が担当したので、システムの設計をどうするか等の上流工程を担当する形(PMO)でした。

そこで気づいたのは、総合商社に新卒で合格するいわゆる就活エリートな人たちも、実は他の学生と圧倒的な差があるかというとそこまではないんだなということです(もちろん、みな力のある方々です。私が、変な幻想を抱いていたのです)。有名企業に入社する選ばれた若手人材であっても、若手のうちはこの会社でやりたいことが固まっている訳じゃないというのは、自分にとっては発見でした。

もう一つ、3年がかりのプロジェクトを一通り走り抜ける中で、システムはあくまで手段であり、目的ではないということを感じました。もちろん、システムが入ることで、その業務にかかる時間が減ったり、コストカットができるのですが、「10だったものを1にしました!」というものにあまり自分が意義を見出せなかったというか…そういうものよりは、もう少し誰かの人生がガラッと良くなることに直結するような仕事がしたいという気持ちがあることに、この案件をやり切ったことで気づくことができました。

今思えば、採用に興味を持った時にすぐ転職せずに、会社のメイン事業でもあるITコンサルでの仕事をやり切ったのは良かったと思っています。新卒時代に困っていた「何がやりたいの?」という問いに対する、「他の人の人生が良くなるのに直結するような仕事がしたい」という答えが見つかったのは、目の前の仕事をやり切ったことで辿り着けた部分ですし、思っている以上にみんな仕事でやりたいことがなく、キャリアに迷っているんだということも、新卒採用とITコンサルの両方の仕事を通じて自分の中で醸成されていった思いです。

採用担当時の迷いから、人材紹介の世界へ

その後、「採用」関連のビジネスに従事しようとして転職活動を始めましたが、新卒人事をしていた頃から3年ほど経っていたことが逆にネガティブに働き、なかなか合格できませんでした。大企業のように細切れにされた業務ではなく、コンパクトな会社で裁量を持って仕事をしたいと思っていたのですが、そうすると採用担当や転職エージェントとして即戦力でないと採用してもらえず、転職活動は難航しました。

また当時27歳だったので、あまり遠回りしている余裕がないと思っていたこともあり、人材業界を広めに受けていったところ、50人くらいの規模の人材エージェントから内定をいただきました。給与は100万円くらい下がったのですが、成果を出せばついてくるだろうと思ったのと、「ぜひうちに来てほしい」という姿勢をディレクターの方から示していただき、嬉しく思い、転職しました。

手厚く教育してサポートしてもらったこともあり、人材紹介のエージェント職にはかなり手応えがありました。最初は保険業界のクライアントを担当して半年で3,4件のマッチングを成立させることができ、悪くない滑り出しだったと思います。また、もともと数字が好きな性格もポジティブに働き、成果も評価も売り上げも数字で表されるエージェント業務は自分と相性が良く感じました

新卒の採用を担当していた頃は「自社に入る」という選択肢しか提案できないことが本当にもどかしかったので、エージェントになったことで、いくつかの選択肢を提案できるようになったのは嬉しかったです。一方で、当然ながら「自分が持っている求人」しか提案できないし、マッチングを生んで、売り上げを上げないと限りは成績として反映されないという、おそらくエージェントであれば誰しも持っているだろう葛藤が生じ始めました。

4年ほどエージェントをやって、数十件転職実現のお手伝いができましたし、数百人のエンジニアさんとお話しさせていただきました。個人としても表彰されるような成績も出し、チームマネージャーを担当してマネジメント経験もさせてもらいました。ある程度経験を積んだところで、やはりその葛藤が大きくなり、転職を考え始めました。

エージェントは求職者の方を探すのに一定数スカウトを送る必要があるのですが、当時は自分でExcelマクロやVBAを見よう見まねで扱っていたら実際にスカウトの自動化ツールが完成してしまって。転職エージェント業界は、未経験からでも一定レベルのオペレーションを回すことは可能なんですよね。その時に、スカウト文面を送る仕事をはじめとした大半の仕事は、そのうち機械で代替できてしまうんじゃないかという気持ちになりました。

そうなった場合、自分の持っている求人に閉じずに、世の中にある全ての求人から候補者の人にあったものを提案できるようになった方が、より候補者の方にとっても良いキャリアにつながるし、本来の職業紹介なんじゃないかと思えて、それができそうな技術力や価値観のあるLAPRASに惹かれて転職しました。

新しいチャレンジの場を求めて、LAPRASへ

会社合宿での一コマ

当時LAPRASではエージェントのポジションはオープンしていなかったのですが、ダメ元で採用担当にDMしてカジュアル面談を設定していただきました。その後、うまく選考が進み、採用されたという流れです。エージェント経験がなかったら、オープンされていない求人をこじ開けるような、こんな転職方法も自分には絶対にできなかったと思います(笑)

LAPRASに入ってからは、エージェントという立場で、エンジニアの方の就職支援をしています。企業さんから求人情報をいただいて、求職者さんに求人の提案をし、面接等の転職支援をするという、業界では「両面型エージェント」と呼ばれる仕事ですね。

また、エージェント業務に加えて、LAPRAS CAREER事業部のCircle Lead(事業責任者)でもあるため、LAPRAS CAREER全体の進捗や数字を見ながら、サービスをどう伸ばしていくか等についても日々考えています。

一緒に仕事をしている渡辺さんは本当に「エージェントを極めている」点で尊敬しています。エンジニアさんや企業さんに対する1つ1つの所作にこだわり、エージェントとしての業務もどんどん洗練されていくのがすごいと思っているのですが、それに対して自分は「LAPRAS CAREER」というサービス自体をどう届けていくか、このサービスを通してどうやってより良いマッチングを生んでいくか、といったところに興味がありました。全体像を可視化したり、数字を見たりも好きなので、役割分担として事業責任者をやらせて頂いています。

最近は、LAPRAS CAREERを通して得た候補者支援のノウハウ等を、LAPRAS SCOUT 等に活用したり、AI開発に活かしたりといった、他部署に還元するような仕事もしています。もちろん、一番優先しているのはLAPRAS CAREERでの採用のご支援ですが、たとえば転職の合間にキャリアについて考える際の壁打ち相手になったり、今の時点での強みや市場価値に関する情報を提供したり、候補者の方のキャリアがよくなるための「仕組み」を提供することに自分の経験や知見が使えるのであれば、どんどん協力したいと思っています。

また、少し長期的な話にはなりますが、今の自分の仕事の先には、やはり世の中のありとあらゆる求人から候補者の方にあった会社や求人を提案できるようになる世界があるといいなとは思っています。自分が出会えていない可能性に出会えたり、自分が認識していない強みを見つけられたり、うまく言えない想いを言語化をしたり、そういった形でみなさんのキャリアに寄り添っていく存在でありたいですし、それを「仕組み」として提供したいという思いがあります。そうすれば、22歳だった私ももう少し自分と社会についての理解が深まっていたことでしょう。

「転職しよう!」と思った時に、今だと転職サイトやエージェントに登録することが多いと思うのですが、そうするとすぐにスカウトや営業が来てしまって、急に何かに追われるような感じで転職してしまう方もいると思うんですよね。そうじゃなくて、キャリアの途中で立ち止まって考えておいて、いざ転職したくなった時にはベストな選択ができる準備が整っているような、そういう世界をLAPRASだったらいつか作れるんじゃないかと思うし、エンジニアのキャリアサイクルに寄り添うという意味では「LAPRASがやれなかったら誰がやるんだ!」と思っています。

あえて的を絞らず、全力で取り組むことで、やりたいことが見えてくる

会社の合宿の夕食で、メンバーとの一コマ

自分は最初からやりたい仕事がハッキリとあった訳ではなくて、仕事を経験して少しずつやりたいことが見えてきたタイプなので、いわば少しづつ自分がやりたいことに向けて的が絞られていっている感じがあります。

感情が動くくらいまで、目の前の仕事に一生懸命に取り組み続けると、やっぱり「悔しい!」「なんでだ!」と思うところって出てくるんですよね。自分の場合はそれが「自社に合わない学生にも自社に入って欲しいと伝えることは正しいのか」「他にも選択肢があるのに、自分の持っている選択肢を選ぶように口説くことには何か意味があるんだろうか」ということだったので、そこから、自然と自分がやりたい方向性が見えてきました。

なので、やりたいことがハッキリしている人は直進すれば良いし、ハッキリしていない人は、無理して絞らずにまずは目の前の仕事をやり切ってみるのが良いかと思います。その中で感じた「悔しい」「何かが違う」という感情を大事に次の一歩を踏み出せば、自然と「的」が狭まってやりたいことに近づいていくので、ぜひ今の仕事をやり切ってみつつ、LAPRAS CAREERに相談しにきてください!


今回は、LAPRAS CAREERの辰巳さんにこれまでのキャリアについて伺いました。

仕事選びに苦戦した新卒時代から、少しづつ軸をずらしつつ、自分がやりたいことを探していった経験があるからこそ、いろんな方の悩みに寄り添ってエージェントとして転職の支援ができるんだろうなと思いました。

LAPRAS CAREER興味を持ったエンジニアの方がいましたら、ぜひまずはキャリアカウンセリングを受けてみてください。

また次回、別のLAPRASメンバーのキャリアをお届けできればと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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