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LAPRAS最後の創業メンバーとして、描いた未来の実現にコミットし続ける、二井さんのキャリア

今回は、LAPRASの共同創業者であり、Cliant Relationの二井さんのキャリアをご紹介します。LAPRASの前身であるscoutyの創業から、これまで至るまでの想いやLAPRAS SCOUTが描いた未来の実現について語っていただきました。

<略歴>
京都大学経済学部卒。楽天に入社し、ECコンサルティング職に従事。IoTベンチャーのQrio株式会社にて事業開発部マネージャーを経験後、LAPRAS株式会社を共同創業。 CS業務の一環として、これまでに数十社のエンジニア採用活動や体制作りを支援している。


人生を変えた、シェアハウスメンバーとの出会い

ベンチャーの創業メンバーというと「神童」みたいな子供時代を期待されるのですが、小さい頃は至って普通の子供でした。子供の頃から趣味が多いというか、そろばんとか体操とか空手とかの習い事をしていて、自分でやりたいと言って始めて、5年くらい全部続けていたと思います。自分で決めたことを、コツコツ続けることは得意な子供でした。父が趣味が多く、釣りとかアウトドアにもよく連れて行ってもらっていたので、そこから影響を受けたのもあると思います。

その後京都大学に入ってからは、体育会の体操部に入って週5,6は部活動をしつつ、経済学部で経営系のゼミに入っていて、そのゼミの活動もしっかりとやっていました。そのゼミの先輩が運営するシェアハウスがあったのですが、自然とそこに入り浸るようになりました。

その後、シェアハウスのメンバーが先輩から同期へと変わっていき、今でもずっと親友の森下くんがいたり、辻中くんがいたり、当時は後輩の島田(後にscoutyを共同創業)だったり、今のポーカーの先生のリョウマがいたり、シェアハウスで出会ったメンバーから受けた影響が、今の自分を作っていると思います。よく「自分の人生は友人5人で語られる」みたいなことを言うと思うんですが、まさしくその通りで、キャリアにおいても人生においてもこの頃に出会った人たちから受けている影響は大きいです。そんな友達に出会った大学時代でした。

ーちなみに、最近話題になっていたポーカーも、このシェアハウスがきっかけと聞きましたが…?

元々島田がポーカーを好んでやっていたのですが、その流れでLAPRASの前身のscouty時代に社内でもポーカーをやることになり、その後師匠であるノバセルの戸辺さんと一緒に外のアミューズメントポーカー施設に行きました。その後はオフィスの近くのアミューズメントポーカー施設に1人で通い出して、ずっと仕事かポーカーをしているような状態でした。

その後、コロナ禍で外出ができなくなった時期に本格的にポーカーの勉強を開始し、「コロナ禍が明けたら海外大会に行きたい」という思いはずっと持っていたので、ちょうど1年前くらいから海外に行き始めたという流れです。ロングランしたトーナメントには2週間くらい会社を休んで行ったのですが、社内でも僕のポーカー熱はみんな知っていて、同僚たちが快く送り出してくれたので、そこはとても感謝しています。

営業から事業開発に軸を移す転職

新卒では楽天に入社し、楽天市場の出店企業向けの営業を3年ほど経験し、そこで営業やITの基礎を学びました。営業としてそこそこの数字は残していたのですが、当時の上司が本当に営業ができる人で「自分はどれだけ頑張っても、営業でこの人に勝てる気がしない」と思ったことがきっかけで、営業以外にキャリアの軸を変えようと決意しました。

ちょうどその頃、シェアハウス時代のコアな友人達が起業したりベンチャーで働いていて、その話を聞くと「事業を0→1のフェーズで作れる」人材がニーズがあるにも関わらず、あまり世の中にいないということが分かりました。自分自身もその役割に興味が持ったこともあり、自分の軸を「営業」から「事業開発」にずらす形で、Qrio株式会社に10人目の社員として転職しました。ここでは、EC全般の担当と新サービスの販売責任者を経験し、営業だけでなく売り方から考えるような仕事をしていました。

その後、学生時代からゆるく繋がっていた島田から声がかかり、LAPRASの前身のscoutyを創業するために、転職を決意しました。2社目に転職してすぐのことだったので申し訳ない気持ちもありつつ、「2人目」としてベンチャーの創業に関わる機会は今後人生にないと思い、その後色々な人に話を聞いて情報を集めた後に、転職という大きな決断をしました。

島田は当時からクリエイター気質で、色々なプロダクトを作っては「これ売れると思うんだよね」というスタンスで、それに対して営業マンだった自分は「どれだけ良いものでも、ちゃんと売り込まないとものは売れないんだよ」ということを諭すようなポジションでした。よく仲間内の会話で「いいもの作ったら俺が売ってやるよ!」みたいなことを話していたのですが、島田が起業する時にそれを覚えていて、声をかけてくれた形になります。

scoutyの創業から、LAPRASへ

創業メンバー3人の集合写真

scoutyの創業時は、いわゆるビジネスサイドと財務以外のバックオフィス全般を一人で担当していました。最初は投資家の方から紹介してもらった企業に対してヒアリングを実施し、どういったニーズがあるのかを探りながらプロダクトの提案をし、導入してもらうといったことに注力していました。

また、当時はプロダクトはあるものの「どう使うと良いのか」が定まっていなかったため、今の"LAPRAS SCOUT"の「提供する価値」を定義する必要がありました。そこで、CSMとしてお客さんに対してプロダクトの使い方を提案し、実際の採用成功をサポートする役割も担っていました。

創業期の苦労話をよく聞かれるのですが、0からビジネスを立ち上げるのに夢中で、あまり苦労した記憶がありません。今振り返ると、エンジニア経験も採用経験もない中で、エンジニア採用のプロダクトを作って販売するというのはかなりハードルが高いはずなのですが…とにかく無我夢中でやっていたこともあり、当時の辛かった記憶とかがほとんどないですね。

scoutyの創業期は自分にとっての青春で、本当に楽しかったです。自分たちの責任で全てやっていて、自分たちが考えたプロダクトが世の中に求められている感覚があり、自分たちがやらないと日本のエンジニア採用業界は良くならない!という自負がありました。ちょうどWeb系のスタートアップが一気に台頭してきた時期でもあったので市場の追い風もあり、人生で一番忙しい期間でしたが、同時に「ベンチャーの醍醐味」を全身で味わっていた期間でもありました。

役員交代で問い直した「自分がLAPRASに残る理由」

その後、組織が拡大し、自分では対処しきれない問題が複数出てきたことで、役員を降りることになりました。当時は正直突きつけられた「力不足」という現実をすぐには受け止めきれず、役員交代を受け入れるのには時間がかかりました。

一方で、創業期に「いつかは役員を交代するかもしれない」と考えて株式の持分等を設計していたり、自分たちよりも能力の高い人を採用するポリシーを作り、常に実践してきた自負はあったので、そこが拠り所となり、最終的には役員を降りる決断しました。特に、自分の後任が、すでに事業に対して実績を出していて、自分が採用判断をした染谷さん(現社長)であるというのは大きかったです。

もちろん、3年くらいベンチャーを走り抜けたので、役員を降りるタイミングで退職するという選択肢も考えました。そこで最終的に思い至ったのは、自分が採用したメンバーが社内にたくさんいて、自分がサポートして導入を決めてくださったお客さんの導入支援をしている中で、役員を降りたとはいえ、創業メンバーとして無責任なことはできないなという思いでした。

また、LAPRAS SCOUTというプロダクトにも、採用業界にも、まだまだ改善の余地があり、裏を返せばこれから伸びていくことが期待できると思っていましたし、そこに対して自分が貢献できることがまだ残っているという自負もあり、メンバーとして残ることを決めました。

その後、創業メンバーのshowwinが退職し、島田が代表を降り、それぞれのタイミングで「二井さんも辞めてしまうのか??」という社内からの心配は薄々感じ取っていましたが、役員を降りる際にモチベーションの整理ができていたので、実はそのタイミングでは意思は全く揺らぎませんでした。

創業者であり社長である島田の元に集まり、島田に着いて行くモチベーションで働いていた創業期から、お客さんやプロダクトに対するモチベーションで働く時期に自然と移行できたのは、役員を降りたタイミングで一度しっかりとモチベーションを整理できていたのが、結果として良かったのかなと思います。

当時は、ここまで一緒にやってきたLAPRASのメンバーを信じているし、世の中に対して「LAPRAS SCOUT」が提供している価値を信じていて、まだ自分にやれることがたくさんある状態でLAPRASを離れることはできないという思いでした。

最後の創業メンバーとして、LAPRAS SCOUTに込める思い

よくビジネスに大事な三要素として、「ヒト・モノ・カネ」と言われますが、他の2つに比べて『ヒト』のデータ化だけ圧倒的に遅れていて、そもそも分析ができるような基盤すらまだまだ整っていないと僕は思っています。「ヒトのデータを構造化し、、コンピュータが演算処理できる状態を作り出し、人間では処理できない膨大な選択肢の中から最適な、思いがけない選択肢を提案してくれる」という未来を創業期からずっと描いています。

その中で「エンジニア採用」という絞られた領域においては、業務がある程度構造化されていることもあり、LAPRAS SCOUTである程度の土台は提案できたのではないかと思っています。また、ヒトのデータの定量化や構造化といった切り口でHR業界真っ向から取り組んでいる会社はそんなに多くないです。そこにチャレンジできる土台があるLAPRASだからできる挑戦があると思っています。

一方で、まだまだ描いている未来には遠いですし、LAPRAS SCOUTで叶えられていないこともたくさんあるので、LAPRASという会社・サービスを通して、クライアントやユーザーの方々へ価値提供をしていきたいですし、今までHR業界からたくさんの知見を与えてもらった分、業界全体にも恩返ししていきたいと思っています。

自分たちが創業期に描いた未来と、作ったプロダクト信じて、まずは今できることをやり切っていきたいです。


今回は、LAPRAS創業メンバーの二井さんにこれまでのキャリアについて伺いました。

プロダクトとお客さんに向き合い続ける二井さんの、決意や責任感が伝わってきて、取材する側も熱い気持ちになりました。

二井さんはエンジニア採用について今後SNSで発信されるようなので、もしこの記事を読んで興味を持たれた方は、ぜひフォローしてみてください。

また次回、別のLAPRASメンバーのキャリアをお届けできればと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


今後もLAPRAS BACKBONEで発信を続けていきますので、是非アカウントのフォローや記事への「いいね」をよろしくお願いします。

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