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失敗したときの着地点を考えることで、挑戦できる〜未経験者からLAPRASでエンジニアになるまでのtktさんのキャリア〜

今回はLAPRASでエンジニアをしているtktさんにお話をお伺いします。未経験からエンジニア職を志している方、これから新しいことに挑戦を続けていきたいエンジニアの方のご参考になると幸いです。

LAPRASでエンジニアをしている、tktと申します。企業向けのスカウト採用サービス「LAPRAS SCOUT」に関わるスクラムチームで開発を担当し、サービスを利用される方の意見やアイデアを基に、プロダクト・サービスの改善・向上に努めています。


プログラミングとの出会い

初めてプログラミングに触れたのは小学生の頃です。小さい頃からロボットやプログラミングに興味があり、それを知った親が近くの教室を見つけてきてくれたことがきっかけでした。

地元のプログラミング教室で、直径10cmくらいのボールをロボットが転がして相手ゴールに決める「ロボカップジュニア」という大会に出たりしていました。その頃の楽しかった記憶が、今のエンジニアという仕事にも繋がっているのかも知れません。

その後は中学校時代はサッカー部、高校は友達と遊んでばかりのごく一般的な青春時代を過ごしていました。その頃はプログラミングとは縁のない生活を送っていました。

上京してWebライターへ

高校卒業後は半年ほど地元・大阪で浪人生活を送っていたのですが、「勉強つらい」「いまから働く選択肢もあるかもしれない」という思いから大学進学の道を外れて、東京に出ることを決意しました。大阪と東京を往復しながら転職活動をして、Web記事のライターとして雇っていただける会社を見つけて、上京しました。

東京へ行こうと思った理由は、大きく2つです。
1つ目は「東京の方が仕事の数が多い」ということ。最初のステップとして職を探すにあたって、選択肢は多い方が良いのかなと考えていました。
2つ目は「甘えのきかない環境に身をおきたかった」ということ。大阪で働くとなるとおそらく実家暮らしをするため、自分の性格上、そこで甘えが生まれてダラダラ過ごしてしまうのが怖かったんです。環境を強制的に変えることで自分自身に追い込みをかけたい、背水の陣のような思いもありました。

初めての仕事はライター業務で、基本的には1日1本、週に5本のブロックチェーンや暗号通貨に関する記事作成を担当していました。仕事を始める前は、自分は結構文章を書ける方だと思っていたんですが、仕事としてコンスタントに成果を上げていくとなると想像以上に難しく、壁を感じました。記事を書き続けられる人は、本当にすごいんだと実感するとともに、自分の仕事での進むべき道を改めて考えるようになりました。

シェアハウスでプログラミングを学び、エンジニアへ

ライターの次の選択肢として挙がってきたのがプログラミングでした。スクールのようなところに入ったのですが、一般的なスクールではなく、同じ受講者とシェアハウスで生活しながら勉強をするような環境でした。もちろん将来的に武器となるプログラミング技術を学べる点も魅力だったのですが、そこは少し特殊で「食住」の提供があり、その部分に魅力を感じたように記憶しています(笑)。

実際にプログラミングを始めてみたら、プログラミングを学ぶことがすごく楽しくなり、かなり前向きに取り組めていたと思います。シェアハウスの同居人たちと一緒にオンライン教材を使って、プログラミングの基礎を身につけていくのですが、ライターをやっていた時に比べても自分自身の「楽しい
」という感情が強かったです。

打ち込む文字数はどう考えてもプログラミングの方が多いんですけど、今振り返ると「のめり込める仕事の選択肢」を見つけた瞬間なのかもしれません。基本的なプログラミングを学んだ期間は1ヶ月くらいで、その後はLINE  Botを作ってみたり、応用的な技術を学んでいきました。

その後もシェアハウスにはお世話になり続け、Webアプリケーションに関しても学ばせていただきました。自分自身で色々調べながら吸収していく中で、分からないことがあったら相談できる相手がいるという、とてもありがたい環境でした。プログラミングのスキルを身につけていく中で、少しずつそのスキルをお金に換えていくという経験もできるようになってきました。単発の案件を何件か経験させてもらううちに、「エンジニアとして就職したい」と考えるようになりました。

受託開発エンジニアで得たレベルアップ

プログラミングを教えていただいた会社から受託開発の会社を紹介していただき、エンジニアとしてのキャリアをスタートしました。当時の私はなにかに特化したスキルを持っているわけではなかったので、全般的な業務をカバーするようなポジションでした。

企業に属することによって、できる仕事の幅・レベルを大きく拡げることができたと思います。個人で請け負う案件だと、自分ができるレベルのものが上限になりますが、企業が請け負う案件は私の技術レベルより高い水準のものが多く、技術レベルの向上が必要な環境でした。そういった環境で、周りのエンジニアに相談しながら取り組むことで、個人では実現できないスピードでの成長ができたと思います。現在のエンジニアとしてのスキルのベースとなる部分は、この会社で鍛えていただきました。

キャリアを重ねることで、自身が目指したい姿が明確に


受託開発の会社で経験を重ねていく中で、自分の中でエンジニアとして様々な欲求が芽生えてきました。

1つ目は「チームとして開発に取り組む環境に身を置きたい」というものです。
当時働いていた企業ではバックエンド・フロントエンド各1名くらいでの開発がメインだったため、開発内容や機能にあわせて専門性の高いエンジニアに相談したり、他エンジニアと相談しながら開発していくような、複数名でのチーム開発に対して強い興味を持つようになっていました。

2つ目は「より深くプロダクト・サービスに関わりたい」というものです。受託開発がメインだったので、ひとつのプロダクト・サービスを継続して担当することは多くありませんでした。請け負ったプロダクト・サービスにじっくりと向き合い、リリース後も改善を続けていく経験を積みたいという思いも生まれていました。

そうなると、当時の会社は受託がメインでかつ同じ案件にかかわるエンジニアの人数も少なかったので、私が求める経験・キャリアと実際の業務にギャップが生じてきてしまいます。そのため、この2つの希望を叶える為には、転職して環境を大きく変化させることが必要だと考えるようになりました。

LAPRASとの出会い

実際に転職活動を始めてみると、自分が何を重視するのかも定まっていない状況だったため、求人情報などから転職先を探してみようとは思ったもののあまり多くの企業に応募することはしませんでした。いくつかの企業を見ていく中で軸が定まり、最終的には「ひとつのサービスにエンジニアとして深く向き合えること」にプラスして「自分がユーザーとして魅力を感じていたサービスを提供していること」にフォーカスして転職先企業を探すようになりました。

そんな中で転職の候補として挙がったのが、LAPRASでした。LAPRASのことは前身であるscoutyの時代から知っていました。1社目入社前に「自分に向いていることをいい感じにリコメンドしてくれるようなサービスはないかな?」と思って調べていた際に出会ったのがscoutyでした。求人にも応募しましたが、内定には至りませんでした。

その後、LAPRASというサービスになり、実際にユーザーとしても登録して楽しく活用させてもらっていました。そして去年、転職を考えている時にLAPRASがエンジニアを募集していると知り、業務委託として応募し、ジョインしました。

控えめに同僚との写真に写るtktさん(一番後ろ)

(一度、選考から漏れた企業に再度応募することへのネガティブな感情はなかったかという質問に対して)

ネガティブな感情はなかったですね。当時のscoutyから「開発組織であなたに合うポジションがない」という返答をもらっていたため、その時はお互いのタイミングが合わなかっただけだと思っています。2回目に応募した際には、私も1回目の応募の時とスキル感も変わっていますし、LAPRASも前回応募時に比べて結構広めにエンジニアのポジションの募集を出していたので、「会社のフェーズも以前と変わったのかな」くらいの印象で応募しました。

最初は、まだ1社目の企業に属していたので、週2稼働の業務委託として関わらせていただきました。その後、前職での業務が落ち着くタイミングに合わせてフルタイムでの業務委託に変わり、2022年1月からLAPRASの正社員としてジョインしました。LAPRASで働きだしてからここまでに、大きく3段階の働き方の変化があり、私の都合に合わせて働き方を柔軟に提案してくれたことにはとても感謝しています。

また、転職を決意した2つの要因「チームとして開発に取り組む環境に身を置きたい」「より深くプロダクト・サービスに関わりたい」についてはクリアできていますし、LAPRASに入社したことの満足度はかなり高いです。自分がユーザーとして日常的に触れていたサービスに携われている点もそうですし、スクラムチームの中で密にコミュニケーションを取りながら開発に取り組める点も高い水準で実現できているので、とても楽しく働けていますね。

キャリアで大事にしてきたこと

今回はリモート取材でお話を伺いました

「失敗しても大丈夫」と思える着地点を見つけておくことが、チャレンジする上で大切ではないかと思っています。

私自身は結構失敗のリスクを考えてしまうタイプなのですが、突き詰めて失敗した時のことを考えてみたら、実は失敗しても大したことなかったりするんですよね。大阪から上京する時も「仕事がうまくいかなかったら」「貯金が底を尽きたらどうしよう」と色々考えました。だけど色々考えた結果「そうなったら実家に帰ればいいだけだ」という着地点を見つけることで、大丈夫だと思えるようになりました。最悪の想定までしたからこそ、見えるものやチャレンジできる部分もあると思います。

キャリアチェンジや転職も、考え方としては同じです。必要以上に怖がるのではなく、うまくいかなかった時のイメージを持ち、着地点を見つけておくことで、腹が決まるということもあると思うんです。

「失敗しても大丈夫」そんな風に考えることができれば、「やりたい」「挑戦したい」という自分の思いを優先して、自分自身のキャリア・可能性に向かって動けるのではないかと思います。

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