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元IT講師が語るエンジニアの生き方

LAPRASの最年長ソフトウェアエンジニア永山さんのキャリアを紹介します。

<略歴>
長年のうつ病を乗り越えた経験を生かし、社内では「禅」「マインドフルネス」の講師を担当。
様々な分野の企業でエンジニアを経験後、ITの講師としても15年間活躍。
2018年6月、LAPRAS(旧scouty)に入社。2年半後、転職のため退社。2022年1月にLAPRASに出戻り再入社。


ゲーム作成に夢中だった子ども時代

画像はイメージです。

子どもの頃からインドア派で本を読むのが好きでした。小学校5年生の時に父が日本初のパソコン「マイコンPC-8001」を買ってきたことをきっかけに、マイコンでゲームを作ることに夢中になりました。当時のマイコンにはソフトがなかったので、自分でプログラミングするしかなかったんです。
当時のプログラミング雑誌「マイコンBASICマガジン」に、作ったプログラムの内容を投稿するのが楽しかったです。

自作のゲームを持ち込み就職

大学生の時に、作成したゲームをゲーム会社に持ち込み就職しました。NECパソコン系のシュミレーションゲームを作成している企業でした。
当時、その会社にゲームを持ち込んでくる人はたくさんいて、高校生で月収100万円などすごい世界でした。

その会社では、ゲーム開発を任されていました。
ゲームの企画が渡されるので、その通りにプログラミングする仕事でした。当時は一番低レイヤーな「アセンブラ」という言語で作っていたので大変でした。
今から考えれば、労働環境はかなりブラックでした。家に帰れないのが普通で、しょっちゅう同僚が救急車で運ばれていました。私も体を壊し、退職しました。

フリーランスエンジニア×IT講師15年

ゲーム会社を退職後は、実家に戻って、フリーランスで受託開発・SESなどエンジニアをしながら、大学・専門学校・職業訓練校でITの講師をしていました。
講師を始めたきっかけは、エンジニアのフリーランスの集いに行った時に、「専門学校でコンピュータの講師やらないか」と声をかけていただいたことでした。
生徒には言語の基礎を教えて、ゲームを作る課題を出したりしていました。ゲームを作る課題は楽しいので生徒に受けが良かったです。
職業訓練校の生徒さんはプログラミング未経験の方が多く、「プログラミングを学んで就職するぞ!」と、やる気があり教えがいがありました。

職業訓練校の生徒からの寄せ書き

講師業は楽しく、気づいたら15年も教えていました。
しかし、収入的に講師の仕事だけでは生活できなかったため、現在は講師をしておりません。人に直接関わって教えることが好きなので、お金の面の問題がなければ今も続けていたと思います。

精神的に落ち込んだ10年間

ヴィパッサナー瞑想を日々の生活に

講師を辞めた後、うつ病になってしまって。田舎の実家に帰って療養していました。原因は分からず。結婚して子供もいたので、実家で暮らすようになって1年ほど経った頃、親から「そろそろ動けや」と言われて。
就活しましたが、体調が万全でなかったため長続きせず、何社か入退社を繰り返してしまいました。
その後、職業訓練校の元生徒が「就職したシステム会社で一緒に働かないか」と声をかけてくれて入社。その会社に入ってからうつ病が寛解しました。
その会社が私に合っていたのと、当時、マインドフルネスをやり始めたのも心身の状態が良くなったきっかけかもしれません。

現在、LAPRAS社内で毎週、「禅」と「マインドフルネス」の講師もオンラインで担当させていただいています。

バーチャルオフィスでの瞑想会

LAPRASとの出会い

実は、LAPRASには2回入社しているんです。
2018年6月、LAPRASがscoutyという名前だった頃に入社し、2年半後に転職の為、退社。そして、2022年1月にLAPRASに再入社しています。

最初にLAPRASに入社したきっかけは、LAPRAS上でのスカウトでした。
スカウトをもらった時は、「東京のイケてる会社からスカウトが来た!」という印象でした。
最初、LAPRASで私自身のポートフォリオを見せられて「なんで勝手に自分のスキルが表示されているんだ」と驚愕しました(笑)説明を受けて、オープンデータから作っているんだと知って。そのような発想は自分では思いつかなかったので、LAPRASの業務内容に興味を持ち、入社しました。

エンジニア3人組(左が永山さん)

一度LAPRASを辞めた理由は、良い求人を見つけてしまって浮気心でそっちに行ってしまった感じです。でも、入ってみたら思っていたのと少し違い、業務自体は良かったけど、開発環境がレガシーなのが自分に合っておらず、つらかったです。最初に、業務委託とかで仕事ができる機会があれば、気づけたギャップでした。

「また違う会社を探そうかな」と思っていた時に、LAPRASのCTOのrockyさんに「Twitter見たけど、つらそうだね」と声をかけられて(笑)「1回、懐かしいメンバーで話してみない?」と言われ、話してみたら「やっぱりLAPRASいいなあ!」って思いました。再入社に至るまではスピーディーに進み、前の会社で開発の切り替えがあったタイミングで、LAPRASに戻りました。

愉快な社内エンジニア仲間との1枚(右上が永山さん)

自分は向上心がものすごくあるタイプではなくて。周りに流されやすいところもあります。
知り合いの方々に、人生の節々で、引き上げてもらったなと思うし、人の縁に恵まれていました。周りの方々のおかげで生きてこれてるなという感謝があります。

社会的には「もっと自分をアピールしていきなさい」っていう風潮があるけれど、自分をアピールして行くことには、向き不向きがあると思います。
二十歳ぐらいからずっと社会からそういったことを求められてきましたが、今は自然体で仕事しているので気持ち的に楽ですね。

変化することを恐れず、勇気を出して次へ

人間は変化する時に「変わりたくない」気持ちが出てくる人が多いと思います。でも、現状を維持しているだけだと衰退していくだけなので「変わること」はどうしても必要です。

変化しようと考えた時に、現状に戻ろうとするベクトルがすごく大きくて、そのままでいたい気持ちが強いけど、とどまっていても良い結果になることは少ないから、次に行けるように気持ちを持っていくようにしています。

若い方々に伝えたいのは、会社選びの大切さについてです。若い時にきちんと良い会社を探すべきだと思っています。
世の中の先を行っている最先端の会社を探して無理矢理にでも入ることが大事だと思います。歳をとる頭が回らなくなってくるので若いうちに(笑)

あと、私が心がけてるのは転職する際には前の会社の人に迷惑をかけないことです。世間って狭いのでまた会ったりするので、なるべく調和をしたまま変わるように心がけています。


今回はエンジニアの永山さんにお話を伺いました。
ITの講師時代の話や、人との繋がりを大切にされている話、人生の落ち込んだ時期を乗り越えられた話など、ベテランメンバーならではのお話を聞くことができました。
また、インタビューを通して、人との付き合いを「キャリア」に限らず、長い人生でご縁としての繋がりが続くものとして捉えていることが、今までいろんな経験をされている永山さんらしい視点だと思い、LAPRASのエンジニアが退職後にもう一度スカウトした気持ちが分かるような気がしました。

LAPRASでは現在、一緒に働くエンジニアメンバーを募集しています。興味を持っていただいた方はぜひお気軽にお声かけください!

 また次回、別のLAPRASメンバーのキャリアをお届けできればと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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